chaba log2

2011/10/23

星を継ぐもの

カテゴリー: 読書 — タグ: — chaba @ 08:59

J.P.ホーガン「星を継ぐもの」読んだ。ホーガンというと「未来の二つの顔」の漫画版を読んだぐらいで、小説を読むのは初めてだと思う。どうも翻訳物は苦手意識がある(「指輪物語」は正直つらかった)のだけど、やたら評判をあちこちで目にするので読んでみました。面白かったです。実は書店では漫画版と並んでディスプレイされていて、迷ったんだけど小説にしました。
ちょっと未来、2020年代の話になるのかな。月面でひとりの宇宙服を着た死体が見つかる。しかし彼が死んだのは5万年前だった… という衝撃の事件で幕開けする物語。チャーリーと名付けられた彼はどこから来たのか、何故孤独死に至ったのか、5万年前に何があったのか? という数々の疑問が解き明かされていくことになりますが、それだけにいろいろ説明台詞も多いんだけどどんどん惹きつけられていく感じでした。衝撃の展開もいろいろで。
そもそもが1977年の作というから作中の2020年代は今現在よりかなり発展しているような印象もあります。かなり宇宙進出してるし。また、未来を予知しているところもあるし、全時代的な印象を受けるところもあります。特に後者では喫煙者が目立つあたり。世界的な嫌煙・煙草高騰もあるせいか、近年のSF映画とかでは喫煙者をほとんど見かけない…というか演出・キャラ作り以外では吸わない気さえしますが、今作ではそこかしこで普通に紫煙が上がってます。
今作はシリーズ化されているみたいだから続刊も読んでみるか。しかし最近よくラノベとかSFとか読んでますけど、こういうのって中高生のときにもっともっと読んどくべきだよな… 読んでなかったわけじゃないけど。クラッシャージョウとか。でも読むの遅いし読解力ないのも昔っから…

ゲームでの簡略化

カテゴリー: ゲーム — chaba @ 08:43

「栄冠は君に3」では、それまでのシリーズでは数値で表されていた各選手のパラメータが全く見えなくなった。で監督が自ら選手を評価してABCDEと評価を付けることができ、レギュラー選出もそこからやることになっていた。現実には「打撃120・筋力105」とか見えるわけじゃないから評価方法がリアルと言えばリアルなんだけど、しかし実際の部活動では練習ぶりを観察して上手下手を判断するわけだし、さらにはゲームでは表現しにくい人間関係や態度なども評価対象や編成の参考になるわけで、ところがゲーム中で差が出るのは試合しかない。レギュラー選出のためには大会前の練習試合・紅白試合(あったっけ?)を行うことでしか評価できず、しかもパラメータがそのまま結果に出るとも限らないので非常に難航した覚えがある。ていうかそもそも破綻してますわな。着想は悪くないと言えなくもないけど、しかしやるならもっと選手の練習風景・日常生活を精緻に描写できるような仕組みが必要だ。実際には極めてアナログな実世界の様子を全く見えないようにしといてアナログに判断しろなんて無茶もいいところだ。…そういえば選手との個人面談とかもあった気がする。けれども好きな食べ物は何かとかそんなこと言ってたぐらいだったような。あとは叱咤・激励のいずれかが効果的か見極めないといかんとかもあったかも。
そういう、ゲーム化されるときに簡略化される部分とリアルにされる部分とのさじ加減は非常に難しい。扱いを間違うと栄冠3みたいなことになってしまう。
「ソードアート・オンライン」では、MMORPGの常として生産要素も入っていた。しかしゲームとしては必要な素材を必要な道具で加工すれば、キャラクターのスキルによってぽんっと目的のアイテムを得られたり得られなかったりする。スキルや運が不足してると失敗としてガラクタが得られるのだろう。鍛冶屋をやっていたリズベットは、武器の研磨を依頼されて砥石に武器をかけるのだけど、数値的には何も反映されないと解っていてもじっくり集中して作業を行う。それが数値には出なくても職人のプライドを込めることだと信じている。ちょっと好きなシーンだったり。同様にアスナが試みる料理にしても、システムに設定されたレシピのままに加工すればぽんっと目的の料理が得られる。しかし調味料に関しては単純に混ぜるだけというのもそのまま作用してくれるみたいで、独自ブレンドにより世界に存在しない醤油を作ったりしてたな。そういう工夫の余地はあるってことか。
まあSAOの世界はそれ自体が架空だから実際にゲームとしてシステム化するとどうなるか解らないけど、簡略化とリアルとのバランスはどこでも重要なのねということで。そういえば「ログ・ホライゾン」では調理加工がまったく無意味というかいろいろ作れても同じ無味になってしまって食事が大層つらいって世界になってるようです。果物はそのまま食えるからそれらしい味がするので貴重というのも面白い。
ゲーム内で職人技を反映させるってのはある程度ミニゲーム的な成果を出すことで可能かもしれないけど、それも程度の問題がありますわねえ。複雑化するとシステム負荷が大きくなるし。本当に細部まで、独自加工とか素材の工夫まで反映しようと思ったら分子構造のシミュレートからやらんといかんし。そこまでやるのはいくらなんでもという気もするが、しかし「アイの物語」の世界ではそこまで可能になっていたような気もする。アボカドを剥くのを何度も練習するあたりとか。逆に言うと「アイの物語」なみにAIが生き生きと活動するにはそのぐらいの世界を構築できないといかんのか。だってAIのために肉体活動自体をシミュレートしてるってことになってますし。

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