山本弘「アイの物語」を読んだ。いちおうSF短編集なのだけど、未来世界でアンドロイド女性が人間男性に読み聞かせる一連の話という構成になっています。アンドロイドらメカ社会に対立する存在として囚われた男性が話を聞かされるうちに世界の真実に近づいていき…といった感じ。
面白いのは、作中で語られる短編が「これも事実と違う創作だけどね」的に語られること。しかもリアルでの初出が微妙に前後していて、作者が最初からこの構成にまとめる意図があったわけでもないのかもと思わせること。そしてその内容が仮想空間とかAIとかロボバトルといった、現代のゲームでよく扱われる素材(技術的にもテーマ的にも)だったりして、なおさら興味を惹かれます。ていうかオンラインゲームとか仮想空間とかやってる人は絶対読むべき…というか、かなり感じるところがあるんじゃないかという話。
以下若干ネタバレ含む感じ。核心には触れない予定。
アンドロイドとしてリアルボディを持たないAIが仮想空間で物理的にシミュレートされた「体(いわゆるアバターですな)」を与えられ、そのAI同士がさらに仮想空間でバトルを繰り広げるのをショーとして楽しむという要素が出てきます。彼ら彼女らにとっては仮想空間こそがリアルなのであり、そこからもう一段深い仮想空間で自らのアバターを構築してロールプレイを演じます。つまり愛と正義に生きる戦士だったり、邪悪なコスチュームや言動を伴う悪役だったり。このへんはマスターの趣味による。しかし中身は善良なAIが、殺し合いを繰り広げつつも普通に脳内会話をしてるところは実に面白い。悪役側が侮辱めいた挑発台詞を浴びせておいて、相手方が意味がわからないでいると、脳内会話で「こういう意味だよ」と教えてくれて、それに対応して怒りの表情を選択表出させるといった流れは何というかしびれますねw もちろんそういった内部事情は観客である人間には解らないと。
導入部分こそ設定やシナリオが用意されるのだけど勝負は本気で、どちらかが破壊されるまでバトルは行われるわけですが、AIには闘争本能や自己保存本能が備わっているので死への恐怖もあるんだとか。なので勝負が決定的になると、負けてる側が「この恐怖から解放してくれ」と伝えてきて相手が介錯するような形に。もちろん(2次)アバターだから完全に破壊されてももとのAIにはダメージは無いわけで、何度もバトルしてる間柄のAI同士が1次アバターで仮想世界の繁華街で、普通に茶飲み話とかしてたりします。AI同士だから憎しみもない。このへんが非常に面白かった。
AIの会話というのがまた独特で、多重の比喩らしき表現とか人間にない感覚とかを言語化しているので一見難解だったりします。難解なので読み解こうともせずに何となくフィーリングで把握してたりしますが、それが正しい読み方なのかもしれん。
作中で若干重要な意味を持つ「マスター」という呼び方も独特ですね。主を呼ぶのに、「ご主人様」とかだといかにも作為的というか無理に人間味を出そうとしている感があるけど、「マスター」だといくらかクールな印象を伴うのがいいですね。私が体験した中ではPSOのシノがそう呼んでたり、あるいはボカロ系の創作でもよく主のことをマスターと呼んでたりしますね。やはりそういった人工知能的な存在にはマスターと呼ばせるのが一番しっくり来るか。
しかしこうやってAI同士がお互いの情報を交換・検討しあって、新しい言葉さえ生み出していくというのは凄い世界ですね。こういう世界をそのまま再現は無理にしても、コンパクトに単純化した体系でも作れないもんかなあと思わずにはいられません。自律動作するAIが相互に高め合うような世界。まあ一番欲しいのはゲームマスターとかNPCを演じてくれるAIなんですが。もっと勉強します…